The Soltians' Salon

gotohome

My comments

こちらでは、僕が書いた演奏評だの感想文だのを載せておくページです。
今年はショルティ没後10年ということで、未発表音源がいくつか発売されましたので、
それらのレビューから始めたいと思います。

ショルティ・ラスト・コンサート

ショルティ・ラスト・コンサート〜トーンハレ管とのマーラー第5番

The Last Concert Tonhalle-orchestra Zürich / Sir Georg Solti

ショルティ・シカゴ響による1970年盤のマーラーの5番は、その迫力、演奏の精度・推進力で他の演奏を軽く凌駕し、 激烈にして清冽、厳威にして絢爛なこの衝撃的名演は、30年以上を経ているにもかかわらず、シェルヘンのような奇盤をのぞけば、今もこの曲の極北にある、といっていいだろう。
ショルティもこの曲には並々ならぬ思い入れがあるようで、来日公演や、90年のラストツアーなどのメモリアル的コンサートでも演奏するほどの得意曲で、バルトークのオケコンと同様、間違いなくショルティの十八番だった。
また、リスナーも方も、この演奏を聴いてショルティにはまった、いや、ショルティ以外受け付けられなくなった、という重症患者(私である)続出というぐらい危険な演奏だった。

同曲の音源は70年のスタジオ盤と90年のウィーン・ムジークフェラインにおけるライブ盤の他、86年の来日公演の模様がソニーから映像化されていたが、どの演奏も聴く者に後遺症を残した罪な演奏である。
ショルティ・シカゴ響70年盤 ショルティ・シカゴ響90年盤 そんなショルティが「図らずも」最後のライブになったのがマーラーの5番というのは出来すぎのような気もする。
トーンハレといえば、10番が聴きたい、と「ショルティ自伝」を読んだ方なら誰しも思うだろうが、「今回は」5番でも文句はいうまい、出るだけでもありがたいのだから。

ジンマンのベートーヴェン全集が非常に高く評価されたトーンハレ管だが、70年盤のイメージを持ったまま聴くと確かに迫力や重量感の不足は否めない。が、冒頭のトランペットといい、後からかぶさってくる繊細な弦のアンサンブルといい、この無垢な清涼感は、シカゴ響では味わえない響きだ。

シカゴ響盤ではかなりガチガチに演奏される1楽章も、トーンハレ盤ではスコアの三連符的な指示や前拍のアクセントが活かされているためか、よりリズミカルにワルツっぽく軽やかに聞こえる。
それでも、これみよがしにテンポを揺らすわけではないから非常に聴きやすく、また激流に飲み込まれて眼を回しそうな70年盤と違って、曲の流れが分かりやすい。
特に場面転換などはシカゴ響盤では唐突に聞こえたものだが、フレーズのつながりが明瞭になっている。

演奏の方向性は90年盤に非常に近く、細かいテンポ指定もそっくりだ。が、さすがにシカゴ響はショルティの指揮に慣れているためか、オケの方が先走りしてしまうような箇所もあり、それが90年盤の面白さでもあるんだが、さすがにトーンハレ盤はぴたりと合わせてくれ、それが心地よいアンサンブルを作っている。

また、「ベニスに死す」とカラヤンの寄せ集め盤で有名になった4楽章。
シカゴ響盤では身をきるほど痛々しい哀切な慟哭のようだったが、トーンハレ盤はもっと優しい幻想的な演奏。
いずれも9分台に収まっているのだが、もったいぶった演奏が多いなか、ショルティ盤がクールに聞こえるのは仕方がない。が、僕はこうしたショルティ特有の大理石のような「ひんやり感」に、寂寥を感じてしまうのである。

実際、10分を切るのはおそらく他の指揮者よりも早いだろう。が、この楽章だけを取り出して聴くならばともかく、全5楽章のうちの1楽章と位置づけた場合、このぐらいのテンポがちょうどいいと思う。というのも最終楽章で4楽章のフレーズが、調とテンポを変えて顔を出すからである。つまり曲全体の構築性を見通した場合、アダージェットだけが浮いてしまうようなテンポ設定はどうかとも思うのである。
特に、このトーンハレ盤(9分58秒)だけを聴いても決して、速いとは思わないはずだし、この清雅な響きならシカゴ響盤より好きである。

余談であるが、手持ちのCDで4楽章が一番速いのはシェルヘンの52年盤で9分15秒、一番遅いのもなんと、これまたシェルヘン65年盤の13分7秒。全くこの御仁は…。

そして、フィナーレ。70年盤は、作曲者が聴いたら卒倒しそうなほどの速いテンポでオケを煽りまくり、弛緩した精神を挑発してくれる。この無邪気な毒気にあたるとしばらくは立ち直れない。
90年盤は若干テンポが落ち、少々中途半端に聞こえる。なぜかテンシュテットも後年のライブではこのぐらいのテンポでとばしていたが、スタンダードなテンポになってしまったんだろうか?
トーンハレ盤はテンポは90年盤並だが、妙に荒削りだった90年盤より、演奏の精度がものすごく高く、テンポ・ルバートかかっても全くアンサンブルがぶれない。
「自伝」で書かれていたように、拍をきっちり揃えてもまろやかな響きは出ることを証明した。
最後の最後にショルティはこの曲の「最終決定打」を残してくれたようだ。

このページのトップへ