The Soltians' Salon

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ショルティ自伝

ショルティ自伝

ゲオルグ・ショルティ:著/木村博江:訳

草思社 1998 302p

何はともあれ、ショルティアンなら必読。ショルティ自身が死の直前まで校正をいれていたという、文字どおりの「遺作」である。
ショルティが、音楽、そしてE.クライバーのベートーヴェンの5番の演奏によって指揮に目覚め、それを内に秘めつつ、ナチの台頭によって国を追われ、終戦後また音楽活動を再開し、世界的指揮者にまで昇り詰める、というショルティ本人のドラマチックな生涯もさることながら、あちこちの歌劇場の舞台裏の悲喜こもごもが描かれているため、意外とこの本そのものは(CDよりも?)好評のようである。
ただひとつ残念なのは、「音楽」自体に関する言及が少ない、ということだろうか。フルトヴェングラーの『音と言葉』とまではいかなくても、指揮の解説ではなく、曲の解釈がもう少し欲しかった。
80歳を越え、自伝を書く、という行為は、「死」の準備である。言ってみれば「遺書」である。自伝をを書くことを勧める方も、相手の「死」を勘定にいれているわけである。数年の内に確実に訪れる自分の死を見据えつつペンをとる、というのはどういう心境だったろうか。
とはいえ、数年先のスケジュールまで予定されていたようだから、さほど深刻に考えてはいなかったのかもしれないが、「自分の知らない偉大な作品が多すぎて悲しくなる。」という残り時間の少なさを痛感している言葉に、寂寞感を覚えたのは僕だけではないと思う。

クライバーが讃え、ショルティが恐れた男

クライバーが讃え、ショルティが恐れた男
[指揮者グッドオールの生涯]

山崎浩太郎:著

洋泉社 2002 215p

日本語の本の題名に「ショルティ」という語が入っている、というだけで買った本。実際は指揮者レジナール・グッドオールの評伝である。
「…私は彼に指揮の機会を与えないといって非難された。目がなかったのかもしれないが、私の意見はそうだった。」
「ショルティ自伝」にはグッドオールについて、そう書かれていて、最初から変な文章だなあ、と思っていた。事情を知らなければなんのことかわからないのだが、この本を読んで、「自伝」のような表現を採らざるを得なかった理由が分かった次第である。
コヴェント・ガーデン時代の10年間、ショルティはグッドオールと同じ職場にいながら、指揮の才能の疑問を持っていたため、グッドオールに指揮をさせなかったのだが、他のオケでグッドオールが「マイスタージンガー」を降ったところ、大絶賛を浴びてしまったのだった。当然、なんでコヴェント・ガーデンでは冷遇されてるんだ、嫌がらせじゃないのか、という声も上がるわけで、ショルティのその批判の矛先にもされたらしい。
確かに、少々ショルティに手厳しい箇所もあるのだが、それまで日陰にいた者が、やっと陽の目を見、かつそれが絶賛され、図らずも自分を虚仮にしていた連中の鼻をあかす結果になるという件が、短い本の中で鮮やかに描かれていて、グッドオールの生涯にも山崎氏の筆力にも感銘を受けた。
人間の価値観など極めて相対的なものなのだ、ということを、上記に引用したショルティの言葉ともに噛みしめましょう。

以下は洋書です。ただ、いかんせん僕自身、英語が大嫌いな人間なので全て精読したわけではありません。斜め読みしかしてませんので、せいぜい一般的情報程度でしかありませんが、どうしてもクラシック関係の本は海外の方が多いので、参考までに書いておきます。

Memoirs

Memoirs

Sir Georg Solti

17×25cm 258p Knopf

「ショルティ自伝」の原書。掲示板の常連さんに教えて頂いたのだが、原書の巻末には、演奏リストが載っている。さすがに全ての演奏日付はないが、ミュンヘン、フランクフルト、コヴェント・ガーデンの歌劇場における初日の日付と曲目、シカゴ響時代の演奏曲が並べられている。
ショパンのピアノ協奏曲やニールセンの1番・6番など、こんな曲降っていたのか、と驚くことも多く、ファンなら持っていても楽しいと思う。
僕は、どうせならとハードカバーを買ったが、安いペーパーバックも出ている。
ちなみに僕は、シカゴ響のサイトでこの本を買ったのだが、その際5ドル寄付したら、
Chicago Symphony Orchestra ni gokihu kudasaimashite makotoni arigataku onrei mooshi agemasu.
という返信メールが来て面食らった。シカゴ響最高!

SOLTI

SOLTI -the art of conductor-

Paul Robinson

14×22.5cm 168p

作曲家であり音楽監督でもある、ポール・ロビンソンによる「the art of conductor」シリーズの3冊目(1冊目はカラヤン、2冊目はストコフスキー)。
1979年刊だが、数少ない、第三者によるショルティの評伝。「ショルティ自伝」に書かれていないような裏事情なども書かれてあって面白い。
一般のライターではなく、音楽家の手による本だけに、オーケストレーションや演奏・録音などに関する言及も多く非常に興味深い。

RING RESOUNDING

RING RESOUNDING

John Culshaw

15.5×22.5cm 276p

デッカのプロデューサー、ジョン・カルショーが、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」全曲録音を構想し、実現させるまでの経緯を克明に綴った回想録。クラシックファンなら一度は読みたい本であり、現在「復刊ドットコム」で復刊リクエストが寄せられている名著である。
50年にバイエルンでのショルティ指揮の「ワルキューレ」を観て、全曲録音を思い立った話、バイロイトでの苦労話など、興味のつきない話題満載である。
こうした内容もさることながら、なんといっても、表紙を飾るショルティの写真がカッコいいのである。復刊が待てん!というせっかちな方(私である)は原書で買う手もあります。
ちなみに僕のは、「Solti」のサイン入り。本物かどうかは考えないことにしてますが…

Putting the record straight

John Culshaw

15.5×22.5cm 362p

これもジョン・カルショーの回想録。カバーがついてなかったので画像はなしです。
最初僕が調べた時は250ドルぐらいの値段がついていて、これは買えん、と思ったのだが、これも常連さんに情報を頂き50ドルぐらいで購入できました。
現在は、山崎浩太郎氏による邦訳(邦題「レコードはまっすぐに−あるプロデューサーの回想」)が出ています。

THE RING OF NIBELUNG

THE RING OF NIBELUNG

El de Rico

25.5×35cm 204p

イラストレーター、エル・デ・リコによるイラストを30枚含む、リングを物語化した本。
英語版ではあるのだが、テキストの原語(ドイツ語)はフレデリック・ジェイムソン。
なんでここに入れるかというと、前書きがショルティのよるものだから、である。といっても1ページだけなんだが…
まあ、これも立派なショルティ・グッズなのさ、ということで紹介しておきます。
これを開いてから知ったのだが、実はこの中の1枚が以前ショルティの「リング」のCDジャケットとして使われていた。抜粋盤か82年のハイライト盤か覚えていないのだが、夕焼けをバックに左側に樅のような木、その手前にオーロラかクリスタルのような凸凹した三角錐のようなもの(実際は崩壊しつつある城のようなのだが、CDジャケットの大きさでは判別しがたいと思う)が透けている、という構図。
心当たりのCDをお持ちの方は、調べてみて下さい。
(さすがにその画像を掲載するのは著作権に引っかかりそうなのでやめておきます。)
尚、この本は上記のとおり大判の本なので、送料が高くなります。ご購入をお考えの方は、気をつけて下さい。参考までに書いておくと、僕の場合は本が50ドル、送料26ドルでした。

KOKOSCH

Designs of the Stage-Setting for W.A.Mozart's MAGIC FLUTE

OSKAR KOKOSCHKA

12.5×17.5cm 64p

直接ショルティと関係がある訳ではないのだが、関連本ということで、こんなのもあります。
1955年のザルツブルグ音楽祭で、ショルティは「魔笛」を振っています。本来はフルトヴェングラーが振る予定だったんですが 、前年に亡くなってしまったので、ショルティが振ることになりました。何故ショルティにお鉢が回ったのかは、フルトヴェングラーが代役として指名した、という記述を読んだことがあります。
で、そのフルトヴェングラーが振る予定だった「魔笛」の舞台デザインを、オスカー・ココシュカが担当しているんですねえ。ココシュカといえば、クリムトやシーレと並ぶオーストリアの画家、というよりも、クラシック・ファンなら、アルマ・マーラーの愛人だった人、といった方がわかりやすいかもしれません。
そのココシュカにフルトヴェングラーが直々に、この「魔笛」の舞台デザインを頼んだようなんです。
さすがに時代が時代なので、映像などは残ってないにせよ、パンフレットか何かないかな、とAbebookで探していたら、なんと、そのココシュカの舞台デザインのスケッチ集なるものが売られていたのです。
1955にザルツブルグで出たもののようなので、公演会場で売られていたものかもしれません。
1955年・ショルティ・魔笛といえば、ヘッセン放送管のCDが出回ってますが、このココシュカの舞台デザインのスケッチを眺めながら、今となっては半世紀も前(!)のザルツブルグの劇場を想像してみるのも一興です。
ちなみにフルトヴェングラーによる献辞と、短いながらも「魔笛」論も入ってますので、フルトヴェングラー・ファンの方もいかがでしょう。

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